長くなったので

オースケさんのコメントへの返事を含め、改めて書こうかなと。


まずはオースケさんのコメントから考えたこと。

「普段は同調圧力の低下したポストモダン状態なのに、それでも最後には「大きな物語」を求めてモダンの揺り戻しが起きる」ありふれた事例のひとつとして読んだんだけど、まあ、「何もやらずにいい結果を出そうなんて」って警句を見出しても悪くはないと思う。

僕は人類学に関しては門外漢なのですが、オースケさんらしいというか。自分にも当てはまるのかな。

クイズで活躍したいのであれば、どうしてもそれなりの実力を蓄えなきゃならない。

趣味でも何でも、余計なエクスキューズをつけずに物事に取り組むことは大切だと思う。

今まで自分がとらわれていたものは「余計なエクスキューズ」だったのだと思います。
「努力することがかっこ悪い」というのではなく、「クイズに打ち込むのに気が引ける」という。
誤解のないように書きますが、クイズが嫌いになったわけではありません。
「クイズだけの人間になるのが怖かった」と言ったほうが分かりやすいです。
だから、悪態をついたりしながらも離れられない。


大学の友人と比べると、とりあえず趣味の面では僕は異質な人間でしょうね。
クイズ、高校野球、地理、若干の鉄道。人に話したことはさほどありません。
「周囲と違う」「共感は得られない」ということを、どこかで気にしていたんでしょう。
なんだか、自分が「周囲の目を気にしすぎたなれの果て」みたいに思えてきて仕方ないです。何もかも中途半端で。
話がずれてきましたね。


明日からわき目もふらずとまではいかなくともクイズに打ち込むと宣言はできません。
そんな自信がないし、人間そう簡単に変われるとは思えないし。
でも、ちょっとは変われる気がします。


で、3月の日曜日にある某についてちょっと。
聞いた話のみで言うのはどうかと思いますが、自分があのテンションについていけるとは思えないんです。
これはエクスキューズでもなんでもなくて。まあ、高校生クイズに行く前も同じこと言ってた気もしますが。
そこらへんがなかなか乗り気になれなかった一因です。
あと、前々から主張していたんですが、短文って心臓に悪いですよね。
文章の長さとか難易度とかにとらわれず強い人間になりたいものですが…