東京

長いです。バカっぽいことも書いてます。
この週末に東京で行われたことに興味がない方、ハイテンションな雰囲気に興味がない方は、無理して読むことはないと思います。
ただ、うれしかったということだけはここに書いておきます。


学生生活最後のクイズへの旅は、3月21日17時の札幌駅、寝台特急北斗星から始まりました。B寝台に寝転がり、暇潰しの小説を読みながら眠りに落ちていき、目が覚めるとそこは郡山。もう少し寝ていたかったけれど、僕にとってはいつもとそう変わらない時間だったために諦めて再び小説へ戻りました。
上野に到着したのは9時40分ごろ。一旦改札を抜け、suicaを買って、好き放題の旅がスタート。ここからの約10時間はクイズのこと以上に語ることではないので省略しますが、分かったことは「鶴見線は夕方に行くところではない」ということです。
池袋で高校の友人と再会し、夕食。本当に高校卒業以来の再開で、積もる話も散々あって、延々と話していました。トータルで2時間半以上かな?ずーっと話し続けて、それでもまだ足りなかったけれど、お互いの都合があるわけで。23時には新宿に到着し、ちょっと行き違いがあったけどなんとか相方と合流して、この日お世話になる某氏のお宅へ向かいます。クイズとは全く関係ない話ばかりして、ハイテンションになっていた相方を横目に、気付いたら寝ていました。
翌朝の相方はというと朝からハンバーグカレー…。のんびりした南武線で川崎に向かい、とっとと会場へ向かって、会場前で北大メンバーと合流。のんびりしていたいけど、やっぱり僕は周りの雰囲気に飲み込まれてしまうようです。感染するかのようにテンションが上がってしまい、それに気付いて自己嫌悪。ペーパーが始まる前には、手に汗を握っていました。そんな自分がアホらしい。
いつもの演出とともにペーパー開始、どうしてか分からないけど手が震えてしまって、いつもだったらひらがなで書くようなものをわざわざ漢字で書いたりして。どうしようもない。いつものようにしたいけど、いつものようにできなくて。この大会に関しては自分はそんなんじゃないと思っていたけれど、ダメでした。終わったときの気分は、「80はいかないなぁ」。終盤がかなりひどくて、過去2年とあまり変わらない感じでした。大して勉強もしていないからこの結果は当然とも言えます。
順序としては、この次は団体戦初戦でした。展開は挙動不審と出遅れと棚ぼた。これもやっぱり思い返すと恥ずかしいというか抹消したいというか、冷静でいたいと願っても叶わないものです。他にももっと冷静になってほしい人間もいますがそれはおいといて、なんとか勝つことができました。
昼食の後はペーパー順位発表とともに2ラウンド。トップは相方で、やるべきことをやってくれました。ただ早押しは4抜け。後で話を聞くと「速い展開になってやりづらかった」とのことで、僕も毎年あの場所でそれを感じています。どうしても連答狙いが多くて、それで誤答されると結構くるものがあって余計に僕は苛立ってしまうのですが、とにかくめんどくさいんです。幸いにして自分は3回正解できれば勝ち抜けという条件であの場に入れました。だから連答のことは全く考えずにクイズをして、飛び飛びの正解で3抜け。
コース別選択は全然考えてなかったので、勝ち抜け後にのんびり考えて決めました。まずは相方が10○10×で2×しかつけずに勝ち抜け。実にそれらしい。次は自分だったのですが、最初に9○積んでおいて負けるなんて展開になるとは思いませんでした。後から「アップダウンもそうだけど、掛け算だって誤答しちゃいけない」と言われしょんぼり。最終成績を見ると惨憺たるもので、1×や2×程度ならリカバリできると思っていたのは甘いと実感します。
団体戦準決勝はというと、タイミングは忘れましたが自分は2連答を珍しく決めました。まさか「鯉城」で反応できるとは思わなかった。最終的には負けました。「悔しがるんだったら、次はこうしたくないんだろうから、勉強するしかないんじゃねぇの」とか言ってみましたがどうだったんだろう。無責任にとられても仕方ないです。だからこそ、あんなことをそこまで気にしないでほしい。
敗者復活でもあっさり飛んで、今年もタイムレースには届きませんでした。というか年々成績が下がっているわけです(タイムレース→敗者復活リーチ→敗者復活最初で失格)。一緒に決勝に行きたい、という時点はこの時点で費えたはずでした。相方はタイムレース2セット目でようやく勝ち抜け、初めての準決勝へ。その準決勝はというと1抜けを決められやばいと思っていましたが、例年見られた厳しい展開を自ら封じてあっさりと2抜け。


準決勝が終わってしばらくしてから、とあるスタッフの方に呼ばれました。
「分かるよね?」と言われました。あ、そういうことなんだ、と気付き、不思議な気分で僕は、昨年も入った地下の控え室へと向かいました。
決勝の相手は団体戦でも決勝に進んでいて、控え室には相方とスタッフの方のみ。会場の様子が映るモニターで二人して団体戦決勝を観戦して、スタッフの方に連れられて会場裏手へ。残念なことに、奴よりも僕の方が落ち着きがなくて、本当にこんな人間が後ろにいていいのかとずっと思っていましたが、言われたことに反抗する理由もないし、僕もいつものようにするしかないんだと改めて思いました。


いざ始まった決勝戦、最初に感じたのは「勢いじゃ負けてるんじゃないか」ってこと。タイムレース・準決勝で1抜けして、団体戦でも優勝してきた彼には間違いなく追い風があった気がします。あとは、「もしかしたらコイツは流してやいないだろうか」と。そのつもりはなくても、何となく僕がそう感じてしまうくらいでした。結局追いついてデュースになっても最後は相手。
インターバルの間に僕たちはほとんど顔を合わせませんでした。相方は椅子に座ったままで首だけこっちに振り向く感じ。僕は僕でいつもの調子で、あれはよかっただのあれはダメだの、このセットは鈍かっただのちょっと攻めすぎじゃねぇかだの。僕がどうであろうと奴が空気に飲まれるとは毛頭思ってはいなかったのですが、わざわざ呼んでくれたことに最大限の感謝を示すには、いつものように「てめぇそりゃねぇよ」くらいのことを言ってあげるくらいしか思いつきませんでした。
5セット目にセットカウント3−2になり、ようやくリードをとっても、何一つ安心できませんでした。実際その後に相方は誤答を重ね、あっさりと再びタイになってしまいます。7セット目にセットカウントをとられたときは死んだと思いましたが、まさかの逆転勝利。インターバルのたびに僕の罵声を浴びながら、なんとか奴は突き進んでくれました。さらに1セットを奪って、あと4○となったらもう僕には何も言うことはなくて。この時に「最後は正解で決めたいよな」なんて言い合ったのが、あんなしょうもない展開の伏線になってしまったのでした。
結果的に最終セット。彼の誤答もあって、40−0の万全なリーチがかかって、奴は好き放題を始めました。例会じゃねぇんだから、とか思って後ろから見てましたが、最初に誤答した問題はあのポイントで落とすとは思わなくて、本気で不安になりました。歴史知らずの自分が「戦争が違うじゃねぇかよ!」と思わず口走るくらい。さらに×をつけて、それでもなんとか最後には正解してくれて。僕たちにとって最高の形で、僕にとって学生生活最後の大会は幕を閉じたのでした。


解散後は打ち上げには出ず、最初は西口で店を探したのですが、結局は金額に負けて東口地下街で夕食を食べていました。その後は打ち上げを終えた皆さんと合流して、1年ぶりに松さんのお宅へお邪魔させていただけることになりました。自分みたいな存在に松さんのような方がいらっしゃってくださることは本当にありがたいのですが、4月から僕は学生ではなくなります。いつまでもお邪魔させていただくわけにはもちろんいかないし、これが最後なのかな、とか思いながら皆さんとクイズしたりしていました。


できれば東京や北海道でまたクイズをしたいと思ってます。これからもまたどこかで会うようなことがあれば、その時はよろしくお願いします。