愛すべき札幌、愛すべき福島

札幌もあと2時間です。とっくに部屋からは出ていまして、市内某所で書いています。ちっとも触れてはいませんが、一応センバツも追っかけてはいるんですよ。忙しくてあまり見られてはいないのが残念。
部屋ががらんとするにつれて、部屋を探しに来た4年前の3月を思い出していました。いくつか候補を洗い出していたけど、ちょっとタイミングが遅かったせいかほとんどが成約済みで、生協では確保できなかったんです。最後の一つとして挙げていたのが、4年間お世話になったあの部屋でした。築20年とか、大学からちょっと遠いとか、そんなことは全くどうでもよくて。「ここで暮らすんだ…」という期待感が全てでした。
最後のいろいろな手続きに街中を歩き回ると、この4年間いろんな所に行ったな、と感傷的になってしまいました。あそこで飯食ったな、とか、あそこは誰の家で、ここが誰の家で、とか。僕の知っている「札幌」は決して広くないと思うけど、そんな小さな世界が僕の札幌での4年間でした。
タイミングが中途半端になってしまって書けなかった卒業式。式自体はありがちなもので、印象的なのは友人たちに久々に会えたことくらい。それからは久々に研究室に行き、先輩と話したりしていたら学部の祝賀会→研究室内での飲み会→学科での祝賀会インとあるホテル、という流れで、一日中酒ばかりでした。研究室での飲み会の時には修士2年の先輩に連れられ、お世話になったほかの研究室にも挨拶回りもしました。学科の祝賀会では、「卒業後の進路先は未定ですが、来年の今頃には無事社会人になれるようがんばります」とまで言ってしまいました。そして、指導教官の先生のところで話していたら結局ボロ泣き。先輩とも話していたらこの1年間のことが思い出されてさらに号泣。どんどん涙腺が緩くなっているのを実感します。
そして今日、最後に管理人さんと話しました。この4年間の思い出話もしました。戻ってもがんばってね、何かで札幌にきたらよろしくね、などと温かい言葉をかけていただきました。その時も泣くものかと思っていたのですが、気づいたら声が上ずっていました。話している最中にボロボロ泣いたりすることはなかったのですが、別れを告げて、歩き出して、手を振ってくださっている管理人さんを見たら、やっぱりダメでした。この数日で何度泣いたか知れません。
たった今、最後の飲み会のお誘いを断ってしまいました。これを見たらビックリさせてしまって申し訳ありません。まだ部屋にいれば、と思ってもどうしようもなくて。相方の祝勝会にも出られない自分が情けなくて仕方ないです。でも、そんな電話でも、「がんばってね」と言っていただける自分は幸せだと思っています。


僕に北海道で関わってくれた大学の友人、先輩、先生方、そして僕の大学生活を大きく変えてくれたクイズ研究会の皆さん、北海道クイズ界の皆さん。この4年間の全ての出会いに、最大限の感謝を伝えたいのですが、僕の拙い言葉ではどれだけ言っても足りないでしょう。
ただ、ありがとう、と。そうとしか言えません。
駅のホームの隅っこでボロボロ泣きながら電車に乗ったあの日から4年が経ちました。きっと明日の今頃は、実家でのんびりしているんでしょう。元いた場所に戻っても、先に進まなければなりません。


こんなたいそうなこと書いた後に台無しかもですが、別にブログだのmixiだのから消えることは当分無いと思うので、いずれしょうも無い記事がこの上にのっかることでしょう。「あー、またやってんな」って笑っていただければ幸いです。


またどっかで会ったら、いつものようにしてやってください。
本当に、ありがとうございました。この4年間を大切に、これからも歩いていこうと思います。