東京道中3日目

3日目(3月19日・日曜日)


この日は6時くらいに起床。なぜならこっちは追い出される身。
雨の中バス停に向かい、とある駅へ。山手線・巣鴨で一旦外へ出て朝食はマック。もしくはマクド
2階の席に陣取り、食べ物を食べ、クイズを多少眺めて、ぐったり。
しばらく寝たり寝なかったり。あの時いたメンバーも書いてるけど、あれは傍から見たら異様な光景だった。
巣鴨に戻り、地下鉄に乗って会場へ。雨も上がって、気分もちょっとはマシになった。


駅に降り立つと、そこには。
その間をすり抜けて昼食を調達、operaOさんからメール。「早く来い」
まったくもってその通りな訳で、とっとと買い物を済ませて会場へ。
歩いていく。
ちょっとしたサプライズもあったり、人が多くてげんなりしたり、待ってる間一人でイライラしていたり。
何がなんだか分からない中、淡々と時間は過ぎていく。僕の混乱なんてどうでもよさそうだ。


席について、時間を待つ。配られる。スタート。
昨日と違い、気持ち悪いくらい書く。
どうせ大した差はつかない。分かるところを書いて、それだけ。


時間が過ぎる。やっぱり差はつかない。200人もいれば多少はあるのかもしれないが。
結果を見る前に、もう一つのクイズが始まる。
自分の番が来るまでは見るのみ。
で、呼ばれて脇へ。虚勢を張っていたのかは分からない。ただ、常に何かを言っていた気はする。


終わる時はあっさり終わる。
誰の責任だろうが、責任が誰にあろうが、終わる時は終わるのだ。
今更何を言ったって変わることはない。


先ほどのペーパーの結果発表。
誰か出てきた。何か言ってる。紙が裏返る。
えっ?
おめでとうございます。
インタビュー。ボーっと聞いている。まあのんびり待とう。
いつ呼ばれるかなんて分かったもんじゃない。どうせ大したことはないのだ。
数人出てきた。色がさっきとは違う。いっせいに裏返る。


えっ?


隣の人って前に言ってたあの人だよな、うわぁ、だめ、…。
呆然、もしくはあたふたしながらメンバーが揃うのを待つ。
何か言ってる。BGMが入る。読まれる。押される。連答。わからん。助けて。


ついた。
よかった、まずは正解。
またついた。


足が震える。訳が分からない。何で自分はここでこういうことになっているのか。
慌てる。引っ張り上げる。逃げるように去る。あ、まささん。うわぁ。


後ろにいたakazukinさんとか久栗さんとかと話す。
席に戻って企画書を持ってきて、さあどうしよう。
緊張をほぐしたいがために、隣の人とひたすら喋る。どうしたらいいのかわからない。それでも恙無く進んでいく。
いろいろな展開があって。
勝手に泣いたりしてたけど。


そして、選択権はないに等しいけれど、選択の時。
最初は回避、潰しあう必要はない、むしろ潰されるだけ。
二番目、弾かれる。これじゃなかったらほぼ決まりじゃん、もう。どうしよう。でも次は無理。
そして三番目、はなから挙げる気はない。
残りは一つ。


焦ったら負け。
誤答は一度しか許されない。ちょっと伸ばすも、あえなく。もうだめかも。
でも、わかった。押した。なぜ押せたのか分からないけど、押した。そうするしかなかった。
死ぬかと思った。自分の状況を忘れかけた。けど、気付いたら後一つ、そして。


やっぱり脇にはスタッフの方がいて。結局ひざはがくがくしていて。
まともに話すことも出来ず。何を言ったかなんて覚えちゃいない。きっと覚えているようなことでもない。
ああもう、訳が分からない。どうしたらいいんだ。なんでこんなことになってるんだ。


僕にとっては小休止という名のもう一つのクイズ。気が休まる。立て続けだったらもたなかった。
知り合いはもういないけど。それでも、見ないわけにはいかなかった。そうでもしなければ、気が紛れなかった。


呼ばれる。
何もかもがこわい。僕には何が出来るのだろう。
結局やることは、押して分かるか分からないか、それだけ。だけど、押せなければ意味はない。
反射神経のせいにはしたくないけど、あの時は完全にいろいろな感覚が鈍くなっていた。
何一つ、余裕などなかった。
バカな事を口走る。どうしようもない。沈没。
涙は出なかった、当然だけど。むしろ解放感の方が強かった。ようやく、神経をすり減らすことはなくなった。


観客として、後輩として。
希望を失ってはいけなかった、と思う。
それが伝わった瞬間が最も恐ろしい。舞台の上で、失望の眼差しほどの恐怖などない。
深い意味はなかったけど、口をついて出た言葉に、むしろ驚いた。
精神論を言いたくはないが、あの時はそういう気分だった、それだけ。


終了後、慌しい会場で、福島県民勢ぞろい。
多分他にはいないだろうなぁ、などと変な感慨にふける。浜の人に会えるなど思いもよらなかった。
話せた人、話せなかった人。いろいろいたけど。あの場にいたことを後悔はしていない。
何一つマイナスのことがなかったとも言わないけど、それでも。


思い返すとやっぱりあれは「お祭り」なんだろう。
あーでもしないと一堂に会せないというのも辛い話ではあるが。
だからこそ、12月に英語のテストをした大学を恨んだ、とまではいかないけど、悔しかった。
こんなことになるのであれば。


夕食をとって、松さんの家へ。
いろいろな人としゃべって。
あの時間が、東京で一番充実していたのかもしれない。